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2012年09月17日

2回目の七面山登山

七面山に行ってきた。
一昨年に続いて2回目の登山である。
今回は男性3名+で部の女子部員2名で臨んだ。
ブログを書くのは久しぶりだけど、記録のために記しておきます。


今回は表参道からの登頂をあきらめ、往復路とも、山の道を行くことを選択。
ちなみに表参道は全50丁すべてが階段で、歩幅の自由が利かない上に足腰への負担が重く、精神のメルトダウンが危惧される。
前回よりもはるかに増量した事実と、事前の「予行演習」にて、たかだか建長寺半僧坊の階段を上った時点で、息上がっている我々「で部」にとって自殺行為と思われたからである。

信仰のお山 VS で部。
しかし神様は、すでにこの挑戦を祝福してくれているにちがいない。
そう、チャレンジとはすなわち困難と相対することであるーーーーーー!


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「今回は階段じゃないし・・・」。
若干の余裕をもちながら、この全体図を見たものだった・・・・


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登山道入口。
七面山は日蓮宗のお山だが、祀っているのは「七面大明神」。
つまり神仏習合なのである。日本人の原点を感じる。

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赤トンボもいりゃあ、熊も出る。

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「お地蔵様、いってきまーす」
この時点で心の中では「イッチョメイッチョメ、わーお!」とか思ってるわけだが、
実際は、ここが地獄の一丁目、なわけだ。


このあと、2丁目までですでに足取りは重く・・・・
わたしは「もうやだ!」と心の中で叫ぶ。
(実際、この叫びは全50丁の道程すべてにおいて、途切れることはない)


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あ!さっき渡った橋が見える。
しかしこれでまだ、10丁にも満たない。


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命の水。冷たくて生き返る
・・・のも、ほんのつかの間。

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ここで、男子チームには遠慮なく先に行ってもらうことにして、
女子で部員は、で部らしいペースで登ることに。

このあと、しばし写真なし。
もう、そんな余裕はございません。

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19丁にある、大トチの樹。御神木。
「わーお!」みたいなポーズをしている。

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でかくて、ものすごいエネルギーがある。


ちょうどこの時期は結実してぼっとんぼっとん落ちてくるのだけど、その勢いたるや、プチ爆弾。
頭に当たったら、たんこぶどころじゃないよ。

ところでこのトチは、日朗上人(日蓮の弟子)が植えたとされている。
日朗と言えば、長谷光則寺の土牢に入れられてた人だ。
彼は日蓮を慕って佐渡まで行ってるし、昔の人なのにすごい行動半径だなと思いつつ、わたしは・・・・

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もうだめ。



この後、もう道中写真はありません。
1丁歩いては立ち止まり、1丁進む間に「もう無理」と叫び続け、それでもいっこうに足取りは軽くならず。
ひたすらしんどい。
しんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどい
何のためにこんなしんどいことやってんだろう?

と思いつつ、ようやく宿坊「敬慎院」が見えてきた。



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この時点で、すでにありがたい。


緑に霧がかかっているように見えるのは、雲です。
雲のなかにいるのです。
同行の女子で部員の目には涙が。

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龍が住んでいるというお池

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ここを登ると、富士山遥拝所。
夕方の富士山は群青色で美しいのは知っているけど、もう無理。
そんな気力も体力も、どこにも残っていません。


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本堂からはすでにお勤めの声が聞こえ、ありがたい。


そう、すでに前回体験済みなのだが、
ここに到着すると、湧き出てくる「ありがたい」という気持ち。
このありがたさの源泉はどこにあるのだろう。

そして敬慎院のお坊様はみんな親切で優しく、エラそうな雰囲気は微塵もない。
こんな居ずまいの源泉はどこにあるのだろう?


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到着してすぐにご飯。当然、精進料理。
ありがたい!


通常、このご飯は「修行のご飯」。
空腹が満ちれば良い。命を保つために、食物をいただけることに感謝する機会。
味付けの善し悪しなどを語ること自体バカげているのだが、今回は革命的にお食事の味が変わっていた!!
本当に美味しかった!!で部員としては煮物はお替わりしたいぐらいだった。
お料理担当の方に感謝!!!!!!


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まあ、ちょこっとだけ。形だけ。


このあとお風呂に入り、ようやくさっぱりしたところで、本堂にて、夜のお勤めが始まります。
別当さんのほか、両脇に計6人のサブのお坊様がいて、ライブのグルーブがすごい。
え?これ、お経でしょ?て感じ。
しかもお坊様全員が、、、、なんて言ったらいいのか、、、、
うまく言えないけど、この人たちは本当に信心しているんだなぁって感じさせる。
まったくウマく表現できませんが。
別当さんが、参拝者のお願いごと、家内安全とか心願成就とか病気平癒とか、を節を付けて読み上げるだけですら、なんかありがたいものに聞こえてしまう。
参拝者にお話くださることも、飾らず、ハートと信仰が伝わってくる。
伝わるから、得も言われぬありがたさを感じるのだ。


そう、今回は「信仰」について、前回より深く考えさせられた。
ここのお山は日蓮宗の信仰の聖地なわけだが、登山道入口の鳥居をみてもわかる通り、祀っているのは神様。
この神様は、春分の日と秋分の日に富士山の頂上から登る太陽の光線が、門を通って本堂に祀られているお姿に直撃することでパワーを得、そのパワーを人々に還元する、という仕組み。
これは日蓮宗、という限定的なものより、あまねく日本人にとっては受け容れやすい信仰だと思う。
また、この光(レイライン)は七面山を通り、伊吹山を抜け、出雲大社まで届く(もちろん日本の先の国々にも)。


また、このお坊様オールスターズによるお勤めとは別途で、参詣者グループごとにご本尊様のご開帳をしていただける。
そういうわけでご本尊は、例の日蓮像ではなく、七面大明神その人である。
神様にお姿があるのか?
もう、はっきり言って、それが神様の像なのか仏像なのか、そんなことはわたしにとってどうでもよくなった。
だって、お寺側にしたら、毎日の何十組もを相手にする「ルーティーン」であるはずなのに、いちいちきちんと心のこもった説明をされ、次いで読経と恭しい「ご開帳儀式」になる。
この勤勉さにはこころ打たれるものがあった。
それは宗教の、なんていうか信心を促す「しかけ」とは言い難く、「実」を感じてじわっとした。
七面天女
そのあと、さらに奥の間にある仏舎利や、龍の爪とされている化石などを拝観することができる。
いろいろ質問したいことがあったのだが、実はわたしの人間天気予報センサーが敏感に反応していて、ずっと鈍い頭痛により口数少なくなっていたのが心残り。

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寝る前にこれをゲットして、ミッション完了!
安心して眠りにつく。


21時消灯で、翌朝は5時起床。
なぜか今回は都合4回ぐらい目が覚めては寝直す、を繰り返したが、同行のみんなも同様だったらしい。
前回は爆睡で、寝たと思ったら朝だったのだが。


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ダイヤモンド富士となる秋分の日まであと1週間。向かって左側の中腹から太陽は昇る。


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このすがすがしさ。富士の山の姿の、なんと美しいことよ。

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ご来光。太陽の光が届き、あたたかくなる。
あたりまえのように思っているが、この体感はすごい。

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門の中から。

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龍が住んでるお池。
日蓮宗が上陸する以前から、ここは信仰の対象だったらしい。

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ありがとう。さようなら。

復路の出発。
昨日はあれほどつらかったのに、朝は足腰の痛みもなく、晴れ晴れとした気持ちでいる。
つらかったことはすぐに忘れてしまう。女だからか。
そうじゃなきゃ出産なんて誰もできないだろう・・・などと考えつつ、昨日来た道を帰る。
体力が満ちているときはなんでもない道も、昨日はゴルゴダの丘状態だった。

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道中、樹々の隙間から、姿が見えるたびに感嘆の声。

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奥の院にある影嚮石(ようごうせき)。
ここに七面大明神が現れたという。
18日の大祭で注連縄が張り替えられるとのこと。

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帰りの始めはカメラを手にする気力あり。

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白蛇の神様を祀ってあるところ。
道中の無事をお祈りする。

以降、写真はありません。
帰りは帰りで、行きよりはるかに楽なのだが、それでもあと10丁、てところから突然キツかった。

キツかったのだが、これを書いている時点で、すでに辛かったことは忘れてしまっている。
結論としては行きも帰りも修行なのだ、ということ。
それに尽きる。
日蓮宗信徒であれば、この道のりは願掛けの旅なのかもしれないし、日蓮の苦難を疑似体験するための儀式なのかもしれないが、わたしのような者にとっては、無事であるということがなによりありがたいことだと実感するための修行なのだと思っている。
あるいは、ほとんどの困難は、過ぎてしまえば何でもない、ということを実感するためかも知れない。
とにかく無事であれば何だって可能なのだ。
この極限の疲労体験とその後の境地は、言葉をもって語ることはできない。
おそらく全ての修行とはそんなものなのだろう。


とにかく無事下山し、温泉に入り、下部温泉駅前の食堂で娑婆の食事を取り、鎌倉への帰路についた。










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2012年05月21日

部屋の窓より金環日食を見る

いちおう、観測用の遮光グラスを購入して備えてはいたが、起きたら鎌倉は雨降り。
しかも肌寒くて、とても浜に行って見る気力はなく。
私の部屋の窓から、雲の様子をじっと見つめていた。


分厚そうに見える雲の後ろに、明らかに太陽がいる気配があって、
実は私の部屋がいちばん観測に適した場所なのであったと知る。

曇りのおかげで、空に浮かんだ大きな指輪は、苦労なく肉眼で見ることが出来た。
最初はカメラに遮光レンズをつけての撮影かと難儀していたが、
要は露出を最低にしてシャッターを切れば、苦もなく撮れたってわけです。

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太陽の光が強くなるとあたたかさを感じ、雲が厚くなるととたんに寒くなる。
いかに太陽のおかげで生かされてるかを実感する。


それにしても、空にぽっかり輪っか。
昔の人は、そりゃあ、さぞ驚いたことだろう。
科学的に、これがなんなのかがわかりきった今でさえ、この光景は異様だし、
吉兆という感じは、少なくとも私は受けなかった。

開け放った窓の外に、長谷寺の8時の鐘が鳴り響いて、
それはなんというか、この世の終わり感の演出かと思うほど。

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ただ、この同じ時間、ものすごく多くの人が同じ方角の空を必死に見ていた、、、、
ということが、なんかすごいと思う。

まあ、生きてる間にそんなものを見た、ということです。
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2012年03月19日

坂田庄次さんについて

2012takumi.jpgもうすぐ北鎌倉「匠の市」。
この立ち上げに尽力したのは、先日亡くなった坂田庄次さんだった。

坂田さんの話を記しておきたい。
長いけれど、北鎌倉の人はぜひ読んで欲しい。

うちの父と坂田さんが友達だったので、私は子供の頃からお世話になった。
鎌倉に戻ったら畑をやろうと決めていたのも、子供の頃、今のノース菜園を坂田さんと父が一緒に耕していた記憶があったからだ。
話をしに行くと、彼はたいそう喜んで、「でも香織ちゃんに畑なんてできるかな?」と言いながら、快く土地を提供してくれた。

私が北鎌倉を離れている間に、地元のシンボルのひとつである、栗田邸がマンションになった。

その景観をめぐって、坂田さんは粘り強い反対運動と改善策を申し入れてくれた、そのおかげで、私たちには季節のシンボルだったハクモクレンの大木は、切り倒されずに済んだ。
移植がまずかったため、枝振りも、花も、以前のようなものではないにせよ、だ。


もうひとつ、地元のシンボルは、今は無き好々亭の「赤トンネル」だ。
これは横須賀線の線路際にあるので誰でも目にしていると思う。
この赤トンネルのある山は、悪質業者によって開発され、マンション建設の計画が進んだが、これも坂田さんが意を決して反対活動に尽力し、長い長い交渉の末、ようやく市がこの土地を買い上げてくれるところまでもっていった。
ただ、それが実行される日付を待たずして、彼は逝ってしまった。


彼の訃報は、私が石巻に行く前日の夜中に飛び込んできた。
早寝しようと思っていたのに、ショックや連絡で、早寝とはならなかった。
石巻から戻り、葬儀の場で私が聞いたことは、耳を疑う内容だった。

もともと建築家だった坂田さんは、齢70超にして、今後の人生を石巻の復興に尽力する気でいたというのだ。
政府が出した堤防のプラン、漁師を高台に住まわせる策を無謀だとして、自ら別プランを作成し、提出していたという。
そしてそのプランは評価され、実現にあたり、坂田さんは自ら石巻に居を移す計画をしていた矢先だった。
「何年かかるかわからないが、向こうが落ち着いたら、北鎌倉に戻るよ」と侘助で漏らしていたという。
棺の中の坂田さんの胸に、その分厚い計画所が置かれていた。

彼は頑固で、気難しいところもあったけれど、ある頃から本気で北鎌倉の活性に人生をかけていた。
畑の件で酒を飲みに行ったとき、その本気さに私は驚いた。
そのやり方や、発想は、年相応だったのかもしれないが、誰がそれを非難できる?
やらないヤツよりやるヤツだ。

彼のことだから、石巻の件も本気だったんだと思う。
北鎌倉を離れたことのない人が、そこまでしようとしていたのだから、志半ばでさぞ無念だったことだろうと思う。
落ち着いた頃合いを見て、その計画について、詳しいことを聞きにいってみようと思う。


北鎌倉にはそんな人もいた、ということだ。
絶対に忘れたくはない。

庄ちゃん、本当にありがとうございました。
どうぞ安らかに。
そして上から北鎌倉を見守っていてください。
posted by 0467 at 14:21| Comment(1) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

滅びて欲しい鎌倉の業者、の件。

そうだ!!年が明ける前に!!
忘れるとこだった!


今年の劇的なニュースのひとつに、
ゲジゲジ対策
てのがありました!

今年の夏は大騒ぎしなかったから、もはや忘れ去られた感さえある、このゲジゲジ問題
これは@kamakuramomさんによって紹介いただいた業者さんの施策が奏功したからで、
ほんっとに劇的なカイゼンが見られたわけです。
アレをやってから、もう、人生はガラっと変わった。
感謝のしようもありません。

しかし、そこに至るまでに、私を思いっきり炎上させた出来事があったことは記しておきたい!


お友だちにはおなじみですが、この家に越してきてからというもの、
私が日々悩まされたのは巨大ゲジの「頻出」でした。
あ、ムカデも出ましたけど、ムカデは自分で殺せるからいいの。
ゲジの場合、私は心臓がバクバクして足がすくみ、直視すらできません。
ちなみに巨大っていうのは、全長15センチ以上のことですわ。

とにかく、出る。
昨年では、最後のゲジを殺したのは12月。
今年に入って最初のゲジは3月。

私もう、家に帰るのがいやでいやでしょうがなかった。
特にジメッとした日とか雨の日は。
そんで、「今日は、いるな」と思うと、絶対にいる。
もうわかってるから、わざわざあーちゃんに一緒に来てもらって、始末してもらうという友情バンザイな。


そんで、「ゲジが出ていやだ」って話をすると、
「鎌倉生まれのに、慣れてないの?」と90%ぐらいの人に言われましたけど、マイ実家で見たことありません。
「ゲジは益虫だよ」も言われましたけど、どうでもいいです。
「それがいやなら鎌倉に住む資格が・・・」とか、ヨソから来てしたり顔で住んでる人間に言われるほど不愉快なことありません。

で、そういうヤツに限って、「出る」の頻度が、「せいぜい年2回」とかだったりするわけですから、
どのツラ下げて言ってんだボケ!そんな言うなら、この家住んでみろ!!!
てなもんです。
年2回でギャアギャア言うわけがありません。
こちとらアベレージ週5匹ですから。繰り返します。週5匹 or more です。

深刻です。
実際は、ゲジは気持ち悪いだけで大して悪いことしないので、
それより凶悪なムカデの方がヤバいです。
いずれにせよ、そういうものが、しきりに出るわけです。

いい加減ムリだから、引っ越そうかと思いました。

だけど、その前に、不動産屋ならいい駆除業者を知ってるかと思って電話してみました。
書いておきたかったのは、これ以降の話でございます。

私は、切実な「出具合」による被害を訴えました。
すると、その不動産屋は言いました。
「あなたは鎌倉生まれなのに・・・」
「ゲジは益虫ですが・・・」
「それがムリなら鎌倉には・・・」

ふ ざ け ん な !

私が知りたいのは、不動産屋が駆除業者を知ってるのか知らないのか、それだけです。
鎌倉に住む「資格」についてご教授いただくために電話してません。

ま、不動産屋にとっちゃ、私がとっとと引っ越したほうが、いいわけです。
また儲けられますから。
出て行きたいなら、お行きなさい、ぐらいの話です。
大家さんの身にもなっていないわけです。

で、不動産屋は言いました。
「業者を調べられるっちゃ調べられますけど、、、費用がかかることですから、、、。
あなたの場合は、隣に大家さんのおうちがあるわけですから、直接話したらどうですか?
まあ、業者は、いずれにせよ、調べて日程こちらからお電話しますけど」


そしてこの頃、@kamakuramomさんから、劇的に効く、駆除業者の情報をいただいておりました。
私はもう、この業者さんにお願いしようと決めていましたけど、不動産屋に話した以上、
連絡を待ったほうがいいなと仁義の問題でペンドしていました。


数日後、こころ優しい大地主の大家さんがピンポーン♪ とやって来ました。
見ると、ゲジムカデ系専用スプレー、家のまわりに撒く粉、手袋、ほうき、ちりとりなど
普通の人ができる対策グッズ一式を持っています。
「ごめんなさいね、やな思いさせちゃって・・・」と大家さんは言います。
びーっくりしました。
こころ優しい大家さんのせいではないのです。
そして実は、、、、、それらのグッズはすべて一式、すでに最新鋭のものを完備しております。
もう、そういう次元ではないのです。

大家さんは、出る「頻度」の話を聞いて、ひっくり返っていました。
ちなみに、うちの裏の家(同じ大家さん)でも状況は同じです。
しかも裏の家は赤ちゃんいます。
「それは、さすがにヤバい・・・。業者入れましょう!
不動産屋から連絡来るんですね?そしたら日程の調整しましょう!」

この大家さんはむちゃくちゃイイ人な上に、決断早いのです。


・・・・ところが。
それから1週間経ち、10日経ち、あの不動産屋、いっこうに電話来ません。
その間、私の江ノ島まで聞こえる「ギャーーーーーーーーーーーーー!!!」が
何回繰り返されたとお思いですか?

いい加減、アタマに来て、私から電話しました。
ボケッとした調子で、オッサン出ました。
「・・・・あ〜〜〜、虫の件ね。苦笑。で?なんですか?」て、言いました。
さすっがに、キレました。

「なんですか?って・・・・。業者調べて連絡いただくことになってましたよね?」
「あ〜〜〜それね〜・・・。あれ?AZさん(大家)行きませんでしたか?」
「お見えになりましたけど、、、、、、え?それって、つまり、アレで終わりって話ですか?」
「いやあ、AZさんに連絡したら、ご自身で行くと言ってたんで。ええ」
「あの、私が確認したいのは、そちらで連絡下さることになってませんでしたか?ってことなんですけど。
おっしゃいましたよね?業者の日程調べて連絡するっておっしゃいましたよね?
私、ずーっと待ってたんですけど」
「あ、ま、たしかに、はい、そうですね、それは言いましたけど、、」
「けど、なんです?」
「いや、実際、駆除業者と言ってもですね、完全には駆除できるものでもないですしね、費用もね、、、」
「いえ、もう結構です。人からの紹介で完全な対策できるとこの情報得ましたから。
大家さんもOK出てます。私はスケジュールの件で、御社からの連絡を待っていたわけです」
「はあ、、、、それは、、、失礼しました(別に、、感丸出し)」


私は別に、解決するなら費用こっちでもってもいいと思っていたわけですけど、
このオッサン、仕事する気ねえな、て感じです。
典型的な鎌倉の商売って感じです。

10数年、この町を留守にしてましたが、このあいっかわらズさにはシビレます。
この不動産屋以外にも、これもんの商人多いはずです。

ていうか、とっとと滅びたらいい、こんな業者。


で、大家さんに直接その駆除業者の件を話したら、翌週には呼んでくれて、
それ以降、まったく出ておりません。
我が家は平和になりました。








posted by 0467 at 03:04| Comment(2) | 鎌倉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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