AX ZONE0467: 2回目の七面山登山

2012年09月17日

2回目の七面山登山

七面山に行ってきた。
一昨年に続いて2回目の登山である。
今回は男性3名+で部の女子部員2名で臨んだ。
ブログを書くのは久しぶりだけど、記録のために記しておきます。


今回は表参道からの登頂をあきらめ、往復路とも、山の道を行くことを選択。
ちなみに表参道は全50丁すべてが階段で、歩幅の自由が利かない上に足腰への負担が重く、精神のメルトダウンが危惧される。
前回よりもはるかに増量した事実と、事前の「予行演習」にて、たかだか建長寺半僧坊の階段を上った時点で、息上がっている我々「で部」にとって自殺行為と思われたからである。

信仰のお山 VS で部。
しかし神様は、すでにこの挑戦を祝福してくれているにちがいない。
そう、チャレンジとはすなわち困難と相対することであるーーーーーー!


RIMG0232.JPG
「今回は階段じゃないし・・・」。
若干の余裕をもちながら、この全体図を見たものだった・・・・


RIMG0233.JPG
登山道入口。
七面山は日蓮宗のお山だが、祀っているのは「七面大明神」。
つまり神仏習合なのである。日本人の原点を感じる。

RIMG0235.JPG
RIMG0236.JPG
赤トンボもいりゃあ、熊も出る。

RIMG0238.JPG
「お地蔵様、いってきまーす」
この時点で心の中では「イッチョメイッチョメ、わーお!」とか思ってるわけだが、
実際は、ここが地獄の一丁目、なわけだ。


このあと、2丁目までですでに足取りは重く・・・・
わたしは「もうやだ!」と心の中で叫ぶ。
(実際、この叫びは全50丁の道程すべてにおいて、途切れることはない)


RIMG0239.JPG
あ!さっき渡った橋が見える。
しかしこれでまだ、10丁にも満たない。


RIMG0240.JPG
命の水。冷たくて生き返る
・・・のも、ほんのつかの間。

RIMG0241.JPG
ここで、男子チームには遠慮なく先に行ってもらうことにして、
女子で部員は、で部らしいペースで登ることに。

このあと、しばし写真なし。
もう、そんな余裕はございません。

RIMG0244.JPG
19丁にある、大トチの樹。御神木。
「わーお!」みたいなポーズをしている。

RIMG0245.JPG
でかくて、ものすごいエネルギーがある。


ちょうどこの時期は結実してぼっとんぼっとん落ちてくるのだけど、その勢いたるや、プチ爆弾。
頭に当たったら、たんこぶどころじゃないよ。

ところでこのトチは、日朗上人(日蓮の弟子)が植えたとされている。
日朗と言えば、長谷光則寺の土牢に入れられてた人だ。
彼は日蓮を慕って佐渡まで行ってるし、昔の人なのにすごい行動半径だなと思いつつ、わたしは・・・・

RIMG0248.JPG
もうだめ。



この後、もう道中写真はありません。
1丁歩いては立ち止まり、1丁進む間に「もう無理」と叫び続け、それでもいっこうに足取りは軽くならず。
ひたすらしんどい。
しんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいお腹すいたしんどい
何のためにこんなしんどいことやってんだろう?

と思いつつ、ようやく宿坊「敬慎院」が見えてきた。



RIMG0256.JPG
この時点で、すでにありがたい。


緑に霧がかかっているように見えるのは、雲です。
雲のなかにいるのです。
同行の女子で部員の目には涙が。

RIMG0259.JPG
龍が住んでいるというお池

RIMG0261.JPG
ここを登ると、富士山遥拝所。
夕方の富士山は群青色で美しいのは知っているけど、もう無理。
そんな気力も体力も、どこにも残っていません。


RIMG0260.JPG
本堂からはすでにお勤めの声が聞こえ、ありがたい。


そう、すでに前回体験済みなのだが、
ここに到着すると、湧き出てくる「ありがたい」という気持ち。
このありがたさの源泉はどこにあるのだろう。

そして敬慎院のお坊様はみんな親切で優しく、エラそうな雰囲気は微塵もない。
こんな居ずまいの源泉はどこにあるのだろう?


RIMG0263.JPG
到着してすぐにご飯。当然、精進料理。
ありがたい!


通常、このご飯は「修行のご飯」。
空腹が満ちれば良い。命を保つために、食物をいただけることに感謝する機会。
味付けの善し悪しなどを語ること自体バカげているのだが、今回は革命的にお食事の味が変わっていた!!
本当に美味しかった!!で部員としては煮物はお替わりしたいぐらいだった。
お料理担当の方に感謝!!!!!!


RIMG0265.JPG
まあ、ちょこっとだけ。形だけ。


このあとお風呂に入り、ようやくさっぱりしたところで、本堂にて、夜のお勤めが始まります。
別当さんのほか、両脇に計6人のサブのお坊様がいて、ライブのグルーブがすごい。
え?これ、お経でしょ?て感じ。
しかもお坊様全員が、、、、なんて言ったらいいのか、、、、
うまく言えないけど、この人たちは本当に信心しているんだなぁって感じさせる。
まったくウマく表現できませんが。
別当さんが、参拝者のお願いごと、家内安全とか心願成就とか病気平癒とか、を節を付けて読み上げるだけですら、なんかありがたいものに聞こえてしまう。
参拝者にお話くださることも、飾らず、ハートと信仰が伝わってくる。
伝わるから、得も言われぬありがたさを感じるのだ。


そう、今回は「信仰」について、前回より深く考えさせられた。
ここのお山は日蓮宗の信仰の聖地なわけだが、登山道入口の鳥居をみてもわかる通り、祀っているのは神様。
この神様は、春分の日と秋分の日に富士山の頂上から登る太陽の光線が、門を通って本堂に祀られているお姿に直撃することでパワーを得、そのパワーを人々に還元する、という仕組み。
これは日蓮宗、という限定的なものより、あまねく日本人にとっては受け容れやすい信仰だと思う。
また、この光(レイライン)は七面山を通り、伊吹山を抜け、出雲大社まで届く(もちろん日本の先の国々にも)。


また、このお坊様オールスターズによるお勤めとは別途で、参詣者グループごとにご本尊様のご開帳をしていただける。
そういうわけでご本尊は、例の日蓮像ではなく、七面大明神その人である。
神様にお姿があるのか?
もう、はっきり言って、それが神様の像なのか仏像なのか、そんなことはわたしにとってどうでもよくなった。
だって、お寺側にしたら、毎日の何十組もを相手にする「ルーティーン」であるはずなのに、いちいちきちんと心のこもった説明をされ、次いで読経と恭しい「ご開帳儀式」になる。
この勤勉さにはこころ打たれるものがあった。
それは宗教の、なんていうか信心を促す「しかけ」とは言い難く、「実」を感じてじわっとした。
七面天女
そのあと、さらに奥の間にある仏舎利や、龍の爪とされている化石などを拝観することができる。
いろいろ質問したいことがあったのだが、実はわたしの人間天気予報センサーが敏感に反応していて、ずっと鈍い頭痛により口数少なくなっていたのが心残り。

RIMG0313.JPG
寝る前にこれをゲットして、ミッション完了!
安心して眠りにつく。


21時消灯で、翌朝は5時起床。
なぜか今回は都合4回ぐらい目が覚めては寝直す、を繰り返したが、同行のみんなも同様だったらしい。
前回は爆睡で、寝たと思ったら朝だったのだが。


RIMG0272.JPG
ダイヤモンド富士となる秋分の日まであと1週間。向かって左側の中腹から太陽は昇る。


RIMG0274.JPG
このすがすがしさ。富士の山の姿の、なんと美しいことよ。

RIMG0279.JPG
ご来光。太陽の光が届き、あたたかくなる。
あたりまえのように思っているが、この体感はすごい。

RIMG0287.JPG
門の中から。

RIMG0294.JPG
龍が住んでるお池。
日蓮宗が上陸する以前から、ここは信仰の対象だったらしい。

RIMG0293.JPG
ありがとう。さようなら。

復路の出発。
昨日はあれほどつらかったのに、朝は足腰の痛みもなく、晴れ晴れとした気持ちでいる。
つらかったことはすぐに忘れてしまう。女だからか。
そうじゃなきゃ出産なんて誰もできないだろう・・・などと考えつつ、昨日来た道を帰る。
体力が満ちているときはなんでもない道も、昨日はゴルゴダの丘状態だった。

RIMG0299.JPG
道中、樹々の隙間から、姿が見えるたびに感嘆の声。

RIMG0302.JPG
奥の院にある影嚮石(ようごうせき)。
ここに七面大明神が現れたという。
18日の大祭で注連縄が張り替えられるとのこと。

RIMG0305.JPG
帰りの始めはカメラを手にする気力あり。

RIMG0310.JPG
白蛇の神様を祀ってあるところ。
道中の無事をお祈りする。

以降、写真はありません。
帰りは帰りで、行きよりはるかに楽なのだが、それでもあと10丁、てところから突然キツかった。

キツかったのだが、これを書いている時点で、すでに辛かったことは忘れてしまっている。
結論としては行きも帰りも修行なのだ、ということ。
それに尽きる。
日蓮宗信徒であれば、この道のりは願掛けの旅なのかもしれないし、日蓮の苦難を疑似体験するための儀式なのかもしれないが、わたしのような者にとっては、無事であるということがなによりありがたいことだと実感するための修行なのだと思っている。
あるいは、ほとんどの困難は、過ぎてしまえば何でもない、ということを実感するためかも知れない。
とにかく無事であれば何だって可能なのだ。
この極限の疲労体験とその後の境地は、言葉をもって語ることはできない。
おそらく全ての修行とはそんなものなのだろう。


とにかく無事下山し、温泉に入り、下部温泉駅前の食堂で娑婆の食事を取り、鎌倉への帰路についた。










posted by 0467 at 14:05| Comment(2) | ジャパン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは、お久しぶりです。
そのまま文中の「修行」を「人生」に置き換えられますね。
いろいろとゴタゴタしているご時勢ですが、
まずは目の前のことを、しっかりやっていこうと思いました。
Posted by にーちゃん at 2012年09月20日 07:15
お久しぶり!!!
読んでくれたのですね。ありがとう!

ゴタゴタに煽られることなく、日々を平常心で過ごしたいものですな。
Posted by にーちゃんへ at 2012年09月20日 21:39
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。